酒井ワイナリー (山形県南陽市)

創業明治25年、東北最古のワイナリーです。化学肥料・農薬を使用せず、植栽の多様さと生き物の豊かに育つ畑を目指しています。地元赤湯の畑を甦らせるべく圃場の拡大にも取り組んでいます。

はじめまして 酒井ワイナリーです。
酒井家十六代目当主酒井 弥惣(さかい やそう)は、1864年(元治元年)赤湯村に生まれました。1887年(明治20年)に赤湯鳥上坂にぶどう園を開墾。1892年(明治25年)弥惣27歳の時、ぶどう酒醸造業に着手します。帝国大学農科大学の古在 由直(こざい よしなお)先生に教えを乞いますが、その当時の味覚に合わず見よう見まねの独学でぶどう酒醸造をしていたようです。1908年(明治41年)から1924年(大正13年)まで赤湯町長を務め、その間の仕事を「記憶のまま」「返り見る老後」などの自伝に残しています。
 ぶどう酒醸造業として三代目となる又平は、大変な苦労の中でワイン造りを行っていました。戦争中は女手や年寄りなどの手で、そして戦後は日本酒ブームの中、細々と家業を続けていました。それでもワインは必ず売れる時代が来ると信じていたそうです。
 その後、四代目又平に後継されると、ようやく時代はワインへと移り変わっていきます。そして2004年(平成16年)酒井家二十代目当主、ワイナリーとしては五代目となる酒井一平に代替わりし、現在に至ります。
 順境不誇、悲境不屈、これは我が家の代々の家訓ですが、驕ることなく屈することなく、今出来ることを精一杯励んで参ります。どうぞ末永くご愛飲いただけますようお願い申し上げます。

畑について
名子山 ―なごやま―(総面積375a)
名子山は鳥上坂の北側、南東向きの畑です。
砂礫質の土壌。収穫量の一番多い畑。

上野 ―わの―(総面積60a)
名子山の山陰西側に位置する畑です。名子山同様、凝灰岩の砂礫質の土壌。標高が高いウルイ沢と、オーナー制を実施している狸沢。

十分一山 ―じゅうぶいちやま―(総面積105a)
米沢から山形方面に国道13号線を走らせると、正面に見えるのが十分一山。山の下側にある芳香園と、高い位置にある七ツ岩。

大洞山 ―おおほらやま―(総面積90a)
鳥上坂を登りきった先に中川地区があります。
山懐にある平らな畑は土が少なく岩の多い土地柄です。

金沢 ―かねざわ―(総面積25a)
赤湯に隣接する金沢(かねざわ)地区。
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